パラメータ事件①

前回は、知財高裁で初めて大合議の対象となった「一太郎」特許侵害事件を扱いました。前回の一連の記事をまとめるに当たって管理人は判決文をかなり読み込んだのですが、なかなか読み応えがあってマニア心をくすぐる素敵なものでした。ということで、今回も前回に引き続き知財高裁の大合議の対象となった事案を扱います。すなわち、今回取り上げるのは、、数値部分に特徴を有するパラメータ発明に関する特許出願に対してなされた特許査定を取り消すべきか否かが争われた事案である、いわゆる「パラメータ事件」です。

本事案では、一旦特許庁から特許査定がなされた発明に関して、特許異議申立(後述)によって特許性が否定され、このことを不服とした特許出願人(正確には「特許権者」ですが、分かりやすい表現にします)が知財高裁に審決取消訴訟を提起しました。そして、この審決取消訴訟において、本件発明を記載した特許明細書が、特許法に定める明細書の記載要件、具体的には現行の特許法36条6項1号に規定された「(特許請求の範囲に記載される)『特許を受けようとする発明』が発明の詳細な説明に記載したものであること」という要件を満たすか否かが問題となりました。

<ちょっとした注釈>
「明細書」というと給与明細のようなものを想像される方もいらっしゃると思いますが、特許の世界での「明細書」とは、発明の内容を細かく記載した文書のことをいいます。学術論文のような技術文献をイメージしていただくとわかりやすいでしょう。また、最近の法改正により、明細書の一部だった「特許請求の範囲」が別文書の扱いとなりました(つまり旧法の「明細書」=現行法の「明細書+特許請求の範囲」)が、本事案は旧法の適用を受ける事件ですので、特許請求の範囲を明細書の一部とした旧法の定義によることとします。

「特許異議申立」とは、一旦特許庁により特許査定がなされた発明に対して、第三者が「それはおかしい」として再度の審査を申し立てる制度です。現行法では廃止(特許無効審判と一本化)されましたが、かつては利害関係を有さない第三者にも特許見直しを求める機会を与えることによって特許庁の判断の誤りを是正し、適正な特許権付与を実現するという目的で本制度が設けられていました。また、特許異議申立は、無効審判と同様に、専門官庁たる特許庁によってなされる審判手続であり、その判断を尊重する趣旨から、事実上第一審としての扱いを受けていました。従って、特許異議申立における特許庁の決定に不満を持つ者が審決取消訴訟を提起するに当たっては、東京地裁ではなく、直接知財高裁に提起することとされています。
<注釈終わり>


本事案では現行の特許法36条6項1号の解釈に関して、以下の3つの点につき争いが生じました。すなわち、①特許法36条6項1号の「(発明が)『発明の詳細な説明』欄に記載された」といえるためにはどの程度の記載が必要なのか、②同号の判断をするにあたって、特許出願後に提出された実験成績証明書を考慮することは許されるか、③特許庁が規定する同号の判断基準が事後的に変更された場合、変更前の基準と変更後の基準のいずれにより判断するべきか、という点について争われ、知財高裁の大合議による判断が下されました。

知財高裁がいかなる判断をしたかについては次回以降に検討することとして、今回は前提論点として、本事案で問題となっている特許法36条6項1号の趣旨について検討したいと考えます。本号によって「特許請求の範囲」欄に記載されている発明を、わざわざ「発明の詳細な説明」欄にも記載すべきとした理由はどこにあるのでしょうか。

「特許請求の範囲」欄は、特許を受けようとする発明(つまり特許庁の審査対象)を明らかにする(特許法36条5項参照)とともに、特許権の権利範囲(正確には「技術的範囲」)を定める(特許法70条参照)という機能を有します。このような機能を果たすため、特許請求の範囲の記載では、発明の技術的範囲を画定することが最優先となり、画定に必要となる発明の構成のみを記載するというのが通常の書き方となります。また、出願人は、特許権の権利範囲をなるべく広くしたいと考えるのが人情ですから、エンジン、ギアといった具体例(下位概念、技術的範囲は狭い)ではなく、動力発生手段、動力伝達手段といったような抽象的な表現(上位概念、技術的範囲は広い)を多用することになります。要するに、特許請求の範囲に記載された内容は、一見してよく分からないものが多いです(百聞は一見に如かずで、一度特許電子図書館で明細書の現物を見てみると面白いと思います。管理人が当初「書いた本人にも分からないんじゃねーの?」と思ったくらい、難解な表現で書かれてます)。

特許請求の範囲における記載内容が良く分からないと何が困るでしょうか。まず、現実問題として特許庁の審査が困難となります。前回説明した進歩性の有無を判断するに当たっては、特許を受けようとする発明の内容が分からなければ話になりません。容易に発明できたかどうかを発明の構成のみから判断することは困難であり、発明の構成要素の作用であるとか、発明が実現する効果等を把握して初めて進歩性の有無が明らかにできるものと思います。このような、審査上の問題という現実面から「発明の詳細な説明」欄に発明の細かな説明がなされる必要があり、36条6項1号はかかる必要性を満たすために規定されたとも考えられます。

もっとも、管理人は、この事実上の理由は36条6項1号を設けた直接的な理由とはならないと考えます。特許庁としては発明が良く分からなければ「発明の内容が不明確です」といって特許を認めることを拒絶(拒絶査定、といいます)すればよいだけの話で(特許法36条6項2号参照)何も困りません。困るのは特許査定を欲する出願人の方ですから、わざわざ特許法で規定しなくとも、審査に必要な情報については出願人の側で任意に記載するでしょう。

それでは、本号を設けた趣旨はどこにあるのでしょうか。管理人は、本号を設けた趣旨は、「発明の保護と利用を通じた産業の発展」(特許法1条参照)という特許法の目的の実現にあると考えます。すなわち、そもそもどうして特許制度を設けたかといえば、産業の発展を図るためです。そして、産業の発展をどうやって実現するかといえば、特許法1条によれば発明の保護と利用を図ることによってです。「発明の保護」とは、具体的には発明者(正確には発明を特許出願した者)に独占権たる特許権を付与することを意味します。これに対して、「発明の利用」とは、発明者以外の第三者が特許発明を将来の発明完成のための技術的資料として利用すること、および特許権が消滅した後に発明の内容を自由に実施することを指します。これら発明の保護と利用の双方を促進することによって、結果として産業を発達させようというのが特許制度の本質です。

ところで、「発明の利用」を可能とするためには、当業者が発明の内容を技術的に理解しうることが前提となります。なぜならば、技術的な理解がないまま発明の構成のみを基礎とした場合には、せいぜい特許発明のデッドコピー程度のものしか考えつくことは出来ません。特許発明を基礎とした新たな発明をするためには、特許発明に対する技術的な理解が必要不可欠といえるでしょう。そして、特許発明の技術的理解を可能とする情報は、当然のことながら発明を完成した者のみが有します。このため、「発明の利用」を実現するためには発明者(出願人)が発明の技術的意味までを公開することが必要であり、発明の保護と利用を図る特許制度の趣旨からは技術的意味までの公開が特許権付与の当然の前提となると解されています。なお、このことを指して、一般に「特許権は、新規発明の公開の代償として与えられるものである」などと言われます。

もっとも、発明者にとってみれば自分以外の第三者を利することとなる「発明の利用」に貢献したくないと考えるのが通常で、なるべく技術的意味をあいまいにした形で発明を公開しようとするのが人情というものです。そこで、発明の技術的意味の公開を含めた実質的な「新規発明の公開」を担保するため、特許法36条6項1号を規定して発明者に発明の内容を詳しく説明させることとしたのです。

<まとめ>
明細書の記載要件といいますと、「所定の様式に従わなければならない」といったような形式的なものをイメージしがちですが、本事案で問題となった36条6項1号は法目的を根拠とした実質的な要件であることが分かるかと思います。だからこそ本号の解釈が訴訟上問題となるのであり、かつ本号の解釈が上述した①〜③の3つの争いの結論に影響を与えることとなるのですが、それは次回のお楽しみということで一旦締めさせていただきます。