パラメータ事件③

パラメータ事件完結編です。今回は「特許法36条6項1号の「(発明が)『発明の詳細な説明』欄に記載された」といえるためにはどの程度の記載が必要なのか」という問題点①について検討します。

文字通り解釈すれば、「発明」は特許請求の範囲の記載内容によって特定される以上、「発明の詳細な説明」欄に特許請求の範囲の記載内容と同様の記載がなされていれば36条6項1号を満たすと考えることも可能です。実は特許明細書には「課題を解決する手段」という項目があって、数年前にはそこに特許請求の範囲の記載内容がデッドコピーされていました(今もそうなのかな?)。当時管理人が特許事務所(特許明細書を書くことを仕事としている事務所です)の方に「なんでそんなことをするのか?」と質問したところ、36条6項1号違反を防ぐためだ、とお答えいただき納得した記憶があります。

しかしながら、再三ご説明したように本号はそのような形式的な要件ではなく、特許制度の根幹に基づく規定なわけで、その趣旨は発明を公開することの代償として特許を付与する以上、特許明細書には発明の技術的意味を開示する必要があるというものです。従って、形式的に特許請求の範囲の記載がコピーされているだけでは足りず、特許請求の範囲に記載された発明の技術的意味を記載しなければ36条6項1号を満たさないことになります。それでは、ここでいう「技術的意味」とは具体的には何を指すのでしょうか?

そもそも発明とは何か、というと難しい話になるのですが、要は発明とは今までに出来なかったことを実現するためのものです。であるならば、「発明の技術的意味を記載した」とは、いかにして「今までに出来なかったこと」を「実現したのか」ということを当業者(一般レベルの専門家)が技術的な観点から理解できる程度に記載することである、と解釈するのが素直でしょう。具体的には、当業者にとって「なるほど、確かにこれなら課題を解決できるな」と納得できる程度の技術的記載がなされていることが、「発明の技術的意味を記載した」と認められるための条件といえそうです。この程度にまで技術が開示されていれば、開示内容を参考にして新たな改良発明等を創作することが可能となり、「発明の公開」を要求した特許制度の趣旨にかなうこととなるためです。

なお、「今までに出来なかったこと」とは特許明細書の項目でいえば「解決すべき課題」に相当するといってよいでしょう。従って、「発明の技術的意味を記載した」と認められるためには、当業者にとって技術的観点から「解決すべき課題」が解決できると納得しうる程度の記載がなされていることが必要と考えられます。

さらに突っ込んで、「発明の技術的意味を記載した」と認められるには具体的にどのような記載が必要でしょうか。まず、素直に考えれば、どのような技術的メカニズムによって課題が解決されたかを具体的に説明しているということが考えられます。例えば、a成分を含むことを特徴とする癌治療薬の発明で言えば、「a成分ががん細胞に選択的に付着し、がん細胞が吸収した栄養分を横取りして消費することによりがん細胞の増殖を抑制する(あくまで架空の事例です)」というような説明です。このような記載がなされていれば、36条6項1号を満足するといってよいと思います。

もっとも、すべての発明について技術的メカニズムを明らかにすることは現実には不可能です。例えば上述の癌の治療薬のような医薬品の例で言えば、様々な成分について動物実験を繰り返したところ、a成分を含む薬品に関して顕著に良好な結果が得られた、ただし、なぜ良好な結果が得られたのかは解らない、といったことがしばしば起こります。このような発明に関してすべて36条6項1号違反とすることは、技術の発展を通じた産業発達を目的とする特許制度に却って反することとなり、妥当ではありません。また「論より証拠」という言葉があるように、理論(技術的メカニズムの説明)のみならず証拠(厳然たる事実)によっても当業者は課題解決が可能であることを納得し得ると思います。従って、技術的メカニズムが明らかでない場合であっても、明細書に記載した実験結果等によって課題解決が可能であることが明らかに出来る場合には、やはり「発明の技術的意味を記載した」といえると解すべきでしょう。

ただし、ここで注意しなければならないのは、実験結果等は発明の技術的範囲全般について示される必要があるという点です。例えば、「a成分、b成分、c成分のうちいずれか一つを含む癌治療薬」という発明であれば、a成分を含む治療薬についてのみならず、b成分を含む治療薬、c成分を含む治療薬に関しても有効性を示す実験結果が必要となります。仮にa成分を含む治療薬に関する実験結果のみが記載されていた場合には、当業者はb成分、c成分を含む治療薬が課題を解決できることを納得できないためです。同様に、技術的範囲が一定の広がりを有する発明に関しては、技術的範囲全般にわたって証拠としての実験結果を記載することが必要となります。本事例のパラメータ発明とは、ある特定部分に関して数値的な広がりがある発明をいうのですが、パラメータ発明に関しては数値範囲全般にわたって実験結果が示される必要があります。裁判所も同様の解釈と考えられ、本事例の判決文において、「発明の詳細な説明は,(中略)特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要するものと解するのが相当である」と判示しています。「具体例」を「実験結果」と置き換えれば自説とほぼ同様と考えてよろしいのではないでしょうか。

なお、ある数値範囲に含まれるすべての数値に関して実験結果を示すことは現実問題として不可能です。あくまで当業者が納得できる程度に、複数の数値に関する実験結果を記載すれば足りると解すべきでしょう。


さて、本事例におけるパラメータ発明は、明細書に発明の技術的意味が記載されているといえるでしょうか。本事例のパラメータ発明は、完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)というパラメータに関して、
Y>−0.0667X+6.73 ・・・・(I)
X≧65 ・・・・(II)
という数値範囲を技術的範囲としています。これに対して、特許明細書中に提示されている実験結果は、①完溶温度(X)=71.6℃、平衡膨潤度(Y)=2.4とした場合、②完溶温度(X)=72℃、平衡膨潤度(Y)=2.2とした場合、の二通りのものです。このような実験結果に基づき、当業者は「なるほど、(Ⅰ)式、(Ⅱ)式に示された技術的範囲にわたって課題を解決できそうだな」と納得するでしょうか。

正直な話、当業者の感覚としては①、②の実験結果の数値そのものとした場合に課題が解決できるとは納得できても、(Ⅰ)式、(Ⅱ)式に含まれる他の数値の場合に課題が解決できるか否かは不明、というところではないでしょうか。もちろん私は偏光フィルムに関する当業者ではなくただの知財マニアですので想像するしかないですが、おそらく妥当な結論だと思います。とするならば、本事例ではやはり、発明の技術的意味の記載はなされていない、と結論せざるを得ないと考えます。

なお、36条6項1号の解釈は以上の通りですが、かかる解釈は実際的な観点からも妥当だと考えます。すなわち、発明者(ないし出願人)は、特許権の権利範囲を広く取れるよう特許明細書の記載を工夫するのが通常ですが、かかる工夫は正当な範囲でなされなければならないことはもちろんです。しかしながら、36条6項1号の解釈が昔の特許庁審査基準の内容どおりだった場合、例えばX=1の場合に良好な結果が得られたことを根拠として、課題解決が可能か否か発明者本人もわからない範囲にまで不当に技術的範囲を拡大した特許請求の範囲を記載することが可能となってしまいます。36条6項1号の解釈について裁判所の解釈に従って判断した場合には、このような不当な特許権取得を防止することが可能となりますので実質的な観点からも妥当と考えます。

余談ですが、以上の検討をお読みになった方の中には、「本事例では、事後的であれ実験成績証明書の提出により技術的意味を明らかにしたといえるのではないか、36条6項1号の趣旨からはむしろ特許を認めるべき事案ではないか?」とお考えになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は管理人は判決文を読んでこのような疑問を感じました。事後的とはいえ本事案の特許出願人は(広義の)審査段階にて技術的意味を明らかにしたと認める余地がありますし、新規性、進歩性の判断の時期的基準の場合と異なり技術的意味の開示時期を特許出願時に限定する必要性はかならずしも認められないとも考えられるためです。

もっとも、現実問題としてはやはり出願時の特許明細書にて技術的意味を開示する必要があるといえるでしょう。確か出願人が提出した実験成績証明書を第三者が閲覧することはできないので、実験成績証明書に記載したのみでは、広く世間に対して発明の技術的意味を「明らかにした」と解することはできません。また、上述した実際的な観点からの妥当性確保のためにも、特許出願時に技術的意味の開示を求める必要があります。従って、諸般の事情を考慮すれば、やはり裁判所の判断は妥当というべきと管理人は考えます。

管理人の怠慢で時間がかかってしまいましたが、パラメータ事件については以上です。次回は、今回と同様に知財高裁の大合議判決であるインクカートリッジ事件について検討します。